Kechanってどんなやつ?

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はじめまして。

サイトにお越し頂き、本当にありがとうございます。

1974年生まれ、50歳、埼玉県在住Kechan(ケチャン)と申します。

私は現在、インターネットを使ったビジネス『アフィリエイト』で得た収益と

そこまでのノウハウを人に教えるコンサルティングを専業で行っているオヤジです(‘ω’)

ネットビジネス・アフィリエイトに出会った事により、

経済的・時間的自由そしてストレスを受ける生活からも解放され、自由気ままな日々を送っています。

インターネットを使って、ほぼ自動的に収益が発生する仕組みを作っておいたことにより、

■毎朝、早くから起きて出勤すること

■会社で朝から夜遅くまで仕事をすること

■多くのストレスを受けること

お金に対する不安を感じること

などは一切なく

毎日、自分が起きたい時間に起きられる

満員電車や通勤渋滞とは無縁

神経をすり減らす上司や
先輩がいないのでストレスがない

平日の昼間、ガラガラなカフェで
ノートPCを開き、のんびり記事を書く

といった、何事にも縛られることのない自由な生活を送っています。

そして、アフィリエイトやコンサル業を行なうことで、

自分の預金口座に勝手にお金が振り込まれる状況となっています \(o´▽`o)/

休日と違って、平日昼間のカフェは殆どお客さんがおらず。のんびりと記事が書けるのでした(o´▽`o)

…でも、インターネットビジネスって
なんだかウソっぽくない?

そもそもが詐欺なんじゃないの?

例え稼げるとしても、
それは特別な人だけでしょ?

…って、私も最初そう思っていました(笑)


では、そのような考えを持っていた私が、

なぜ今こうしてネットビジネスで稼げるようになったのか?

こちらについて、これから詳しくお話ししていこうと思います。

そこそこの長文ですが、覚悟してご覧ください(;´∀`)

1.子ども時代

突然ですが、こんなある男性についてどう思いますか?

★物心ついた頃、医師から

「君は糖尿病という一生治らない病気だから
ずっと治療を続けるんだよ」

と言われる


★新社会人として採用が決まった会社

内定を取り消される

理由持病があることがわかったから。


★失明しかけて

両目の手術を受けるも
半分以下の視力までしか回復せず


転職回数は回。

最長で6年以上続いた会社は無し


★月収27円で生活したことがある

なんとも気の毒な人ですよね……(-ω- )

はい。そうです。これ私です(笑)

細かい話はこれからどんどんと出てきますのでご期待ください!

生まれは?

埼玉県都会過ぎず、田舎過ぎず中途半端な地域に生まれた私。

小学校に上がり、最初に行われた学校の検診でいきなり再検査の通知を受ける。

その結果、判明したこと。それは自分が糖尿病にかかっているということ。


トーニュービョー??(o’ω’o)


そんな言葉すらよく分かっていないケチャン少年当時6歳。

ただ、隣で医師の話を聞いていた今は亡き母の暗い顔だけは

今でもはっきりと覚えています…(`・ω・´)


とりあえず、食事管理と運動をする、という治療方法を医師から伝えられ、

なんとなく食べ過ぎない・運動をするということだけを意識しつつも

なにせ体には顕著な自覚症状は出ていないため、

普通の子供と同じように元気な毎日を送っていました


小学生時代はとにかく勉強など一切せず、学校から帰って来ると

外で友達と野球やサッカーをして遊ぶか、

当時大流行した「ファミコン」でいろんなゲームカセットを買ったり借りたりしながら

寝る前までひたすら遊び続ける日々を送っていました ヾ(o´▽`)ノ♪ ゲームサイコー!


その後、中学⇒高校へ進学。

ちなみにこの高校はかけ算・わり算がまともにできない奴らがゴロゴロいるような、

それなりにレベルの低い普通科の共学校でした。


高校卒業後は、その頃好きだったクルマに関する仕事をしたいという思いから

自動車整備士になるべく、2年間職業訓練校で学び、晴れて自動車整備士資格を取得し

大手自動車メーカーへの就職の内定も決まりました\(o´▽`o)/

2.社会人となった最初の挫折

ケチャン

これからは自分の大好きなメーカーのクルマを毎日イジれるぞ!しかも大企業だから将来も安泰だ!

意気揚々と将来のビジョンをなんとなく描き始めたその矢先…

それは職業訓練校の卒業2か月前


ある日、担任の先生から、職員室へ来るようにと告げられます。

言われるがまま行ってみると、なぜかそのまま校長室へと案内されたのです…

(o’ω’o) ン?? ☚ケチャン


その場に居たのは担任、校長、そして内定をもらっていた会社のお偉いさんたち数名がいらっしゃったのです。

やべっ!俺、就職面接の時になんかマズイことでも言っちゃったのかな…

一瞬で、あらゆる出来事を思い出そうとするも全く思いつきません。

しばらく重い空気が張り詰めた後、最初に口を開いたのは

相手企業の人事部長さんでした。

人事部長

ケチャンさんには

大変申し訳ないのですが……

今回の就職内定を

取り消させて頂きたいのです…

なんで!?なに!?俺何やらかした!?

頭の中は、なぜか小学生時代にまで遡って必死に思い出そうとしてました(笑)


その後、人事部長さんは続けて

人事部長

内定後に受けて頂いた健康診断で、

ケチャンさんの検査結果が

良くない事がわかりました。

弊社としても、将来的なことを考えると、

ずっと長く働いてもらうことは

双方にとってあまり良くない結果を

もたらすのではないか?

という結論に至りました。

ですので弊社としては…

この時点で自分の持病が原因なのだな、ということは察知しました。

ケチャン

「たしかに私には小さい頃からの

病気がありますが、現在治療中ですし

日常生活で何も困ることはありません!

なので貴社にご迷惑をかけることなど

何もありません!

その後、今度は校長先生が必死に説得を試みます。

校長先生

そうです。それにアメリカの……野球のピッチャーで

えーと…誰でしたっけ…

ケチャン

ガリクソン投手です!←やや半ギレ(笑)

校長先生

そう!そのガリクソンさんだって糖尿病と必死に戦いながら

投手として立派に活躍されてますし…

人事部長

……

その他大勢「………」


そのあと、その人事部長さん校長先生担任の先生は何かいろいろと、もめていたのですが、

私はなぜだかその様子をまるで他人事のように冷めた目で見ていました…(`・ω・´)


そして結局、その企業の内定は取り消されてしまいました。


その後、担任の先生が必死に就職先を探してくれ、別の会社を受けましたが、

その面接では

面接担当者

なぜこの時期にウチの会社を受けることになったのですか?

という問いに、とっさに答えることもできず、

ましてやウソをつくこともできず、担任もフォローできず…

またしても変な空気が流れてあえなく撃沈(-ω- )


結局、クラスでは私一人だけ就職先が決まらないまま、

卒業迎えたのでした…(T▽T)オセワニ ナリマシター


こうしてそれまでそれなりに順調だと思っていた自分の人生の歯車が、

だんだんと狂っていくのです。


いきなりニートになってしまった私は手当たり次第、

求人誌や新聞の折り込み求人チラシを眺め、

良さそうな会社を探しますが、意外とそういった会社は無いもので、

ましてや現代のようにインターネットが普及していない

1994年の時代ですから、情報も少ないわけです。


途方に暮れながら、数か月後のある日、気分転換に近所を歩いていたところ、

地元の自動車整備工場の事務所の窓に貼られていた求人募集の貼り紙が目に留まりました。


工場名を確認し、家に帰って電話帳から電話番号を調べ、

求人の応募で連絡したことや、持っている資格などを伝えると

社長「近日中に面接に来てほしい」との回答が (*´∇`)ノ


その後の面談では、自分の持病のことも伝えた上で理解してもらえ、

世間から遅れること数か月後に

社会のレールに復帰することができたのでした(o´▽`o)

3.ある日突然、目の前が赤黒くなる

晴れて、地元の自動車整備工場に就職し念願の整備士となった私ケチャン

国産車・外車・バイクから大型トラックまでの整備・修理といった仕事を経験。


そこからおよそ3年が経ったころ、スキルアップを目指すため、

裏方の仕事である整備士ではなくクルマ関連の用品を販売・接客、

クルマのメンテナンスも行う某大手カー用品店に転職しました。

人生初の転職

そこは全国展開している会社だけあって店舗数も従業員数も大変多く、

また、最初に配属された店舗が全国で売り上げの1位・2位を争う大型店だったこともあり、

売り上げ目標金額も高く、また来店されるお客様の数も、とても多いお店。


他店から研修で来る社員さんも大勢いて、

毎日の変化が目まぐるしくて良い刺激をたくさん受けました (*’▽’)


その後は、他店への異動で実家を離れ一人暮らしを経験。


実家暮らしとは違って、

なんでも一人でやらなければならない大変さよりも、

自由になんでもできる生活に強い憧れを抱いてた私は一人暮らしを満喫していました( ˊᵕˋ )


この職場では接客・販売以外に、

ピットと呼ばれる、カー用品の取り付けや交換作業なども行っており、

当時、私のように自動車整備士資格を持っている社員はとても少なかったためか、

他店への異動時は、ピット長(ピット責任者)として配属されました。


そこでも忙しいけど充実した毎日を送っていたのですが、

予想もしないことが、ある日突然訪れるのです…


その日の閉店間際、いつものように店を閉めるための準備をしていた時、

突然、目の前が真っ暗…いや、赤黒い景色に染まったのです。


(;゚Д゚)な、なんだこれ!?

自分の前に見えている世界が赤黒いのです。


しばらくそこでうずくまり、様子をみつつ事務所へ避難。

数十分後に段々と一部の景色が晴れてきましたが、元の状態には戻る気配がない。


あきらかにおかしいことに気づき、店長へ事情を話して、即病院へ

検査の結果、担当医師から伝えられたのは

両目の中の血管が破れて眼球内で大出血を起こしている。

そして

早めに手術をしないと両目が失明する。と告げられました…


これを聞いて、すぐに糖尿病の合併症であることを察しました…

思えば、一人暮らしを始めて以降、地元から離れたこともあり引越し先の病院にも通わず。


自分のやりたいことを自由にやってきたツケが回ってきたのだと理解しましたが

時はすでに遅かったのです。


この時住んでいた地域は田舎で、大きな病院がなかったうえ、

とても仕事を続けられる状態でもなかったことから、

会社を退職


再び実家に戻り、地元の大きな病院で両目の出血を止める治療と手術を受けます。

元の目には戻らないことを知る。

29歳という比較的まだ若い年齢で現実を知らされた私ケチャン


数か月に渡る入院生活

今までに経験したことのない手術の痛み

いつ回復するかわからない視力

また襲ってくるかもしれない合併症への恐怖

不安だらけの未来


そんな状態の中で、術後、徐々に安定してきた視力は

左目:目の前の景色は見えているが、
物が歪んで見えるので物の認識が困難

右目:9割は霧が掛かっている状態で
中心だけ見えている

これが合わさった状態目の前の世界が見えているという、

今まで見たことのない世界がそこには広がっていました。


さらに担当してくれた眼科の医師

眼科の医師

手術によって今見えている状態にするのが精一杯だった。

これからは糖尿病のコントロールを

しっかりして、これ以上悪化させないように努めてください。

との言葉だけでした。つまり、

ケチャン

これから悪くなることはあっても、

もうこれ以上、見えるようにはならない。

ということか…

それからは、その大きな病院へ毎月通い、

両目の定期検査と糖尿病の治療薬である「インスリン注射」を

自分で毎日4回打つ生活がスタートします。


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4.やりたい事を見つけるため模索する

完治することはなく、一生付き合わなければならない

持病という逃げられない現実に改めて直面した時、

ものすごい恐怖が襲ってきました

今後何十年も生きなければいけないのに

果たして自分はいつまで

元気でいられるのか?

このまま働くこともできず、

ずっと親元で生活をするのか?

いや、親だっていつかはいなくなる。

結婚は?仕事は?

俺って今後どうなるんだ…?

そんなことを自問自答するニート生活が再び訪れます。


その後、ある日たまたま書店に立ち寄った時に目にした、

稼げる資格

といったような雑誌を目にします。


パラパラとめくっていると、たまたま目にした資格が目に留まります。

司法書士資格

読んでいると、なんとなく資格の内容が分かってきました。

司法書士

電話とペンがあれば自宅でも開業可能

受験資格不要

平均年収1,000万円!

すごいな…

確かに難易度はそうとう高いみたい

だけど、弁護士や医者などと比べれば低い。

しかも全くの初学者であっても合格は可能

と書いてある。

それに法律を知り尽くした「法律家」

って響きがなんかかっこいい!

確か、そんなノリだったと思います(笑)


そこで早速、大手資格予備校のパンフレットを手に無料ガイダンスへ参加。

しかも教育訓練給付金制度が使えたので受講料の60%くらいは返ってくる

これなら仮に辞めたとしてもあまり大きな損害はないぜ!(*´∇`)ノヒャッハー


こんな不埒な考えの元、最寄りの予備校へ講座を申し込み通い始めました。

……が、2か月で行かなくなりました(笑)


だって、今まで法律の「ほ」の字もかじったことの無い人間が

何年も受けては挑戦し続けているツワモノドモと肩を並べて

授業を受けたって、付いていけるわけがないんですもの( TДT)

これにより資格取得はあっさりと諦めました。


この時の諦めの速さは別の意味で自分を褒めたいくらいです(笑)

その後は一旦、派遣会社に登録。そして大手企業の事務職を経験します。

31歳の秋頃でした。

5.2度目の大きな挫折

とりあえず、見えにくさはあるものの、

事務職をする上ではそれほど大きな負担になる視力ではない。

こんな自分でも人並みに仕事ができる!


段々と自信を付けていき、2年半ほど経ったある日、

求人サイトで見つけた

大手自動車損害保険会社の正社員募集に目が留まります。


事故の損害調査や示談代行の折衝などなんとなく刑事ドラマや弁護士風な

世界が、そこには広がっているんだろうな…

という、短絡的な思考で目いっぱい想像を膨らませます (꒪ټ꒪)ウヘヘヘ


また、応募の条件であった自動車整備士資格保有者もクリア。

年齢的にも問題がなかったため、早速応募ボタンを押す。

その後、採用試験や何度もの面接を経て晴れて内定が決まります。


もちろん、面接では事前に持病のことは通知済みでした。

33歳の秋の頃です

かつてない異常な世界がそこに…

期待と不安を抱きながらも土日祝日休みで、

それなりの給与もボーナスも出る大手企業に入社できたことで

若干浮かれ気味になっていた私ケチャン (꒪ټ꒪)ウヘヘヘ


その後に配属された営業所で働き始めて半年が経ち、

一人で仕事を任されるようになってからが激動の毎日でした。


交通事故を起こした車両の損害を調査するため

修理工場へ損害したクルマを見に行って査定をするだけではなく、

事故の当事者、相手保険会社、来店客、修理工場の社長さん、弁護士さんなど

事故に関わるあらゆる人々との間に入る。


そして一つの事故の解決に向けて何か月、何年もの間、ずっと関わっていかなければならず、

それが毎日何件も何件も次々に自分へ降りかかってくるのです。


人はお金(保険金)が絡むと人格が変わります。


事故の当事者は、あらゆる人がいますので、

ケースによってはカタギじゃない世界の人もいらっしゃるわけです。

交通事故という、比較的稀な出来事に遭遇した人々が

電話だけで、お金だけで示談に応じるわけもなく、

あらゆる人が営業所へ乗り込んで来るんですよね

(;´∀`)イ、イラッシャイマホー


そんな劣悪な環境で十年以上仕事をしている周りの先輩社員さんたちもそうですが、

まともな神経では決して続けられない仕事ですから、

当然、新入社員である私ケチャン後輩たちへの指導や接し方も

フツーじゃないわけです。


仕事でミスをしたり、やり方が間違っていたりすると

すぐに上司や先輩から呼び出しをくらい、

何時間もその場で怒鳴られ問い詰められる。。。

そして

上司・先輩「なんでこうしたんだ!?」

という問いに

ケチャン

自分は〇〇と思ったから、こうしたのです!

といった考えを述べるとすぐに全否定される。


社内に飛び交う罵声。それを見て見ぬフリをせざるを得ない周囲の先輩たち。

お客さんや修理工場の社長さんたちから、

私宛てに次々とかかってくる電話にも出させてもらえず、

折り返し電話の山が次々と積み重なる。


それによって残業しなければならない事が確定しているのに

残業削減スローガンを元に強制的に社内の電源は落とされ帰らざるを得ない状況に。


ある時には暗闇の中でひっそり電話していたことも…

いわゆるパワハラが日常的に行われていました。


そしてある日、いつものように先輩からの叱責を受けた後、

私ケチャン自分の席に戻らずそのまま導かれるかのように

トイレへと歩いて行きました。


個室へ入り、その後

声を必死に押し殺して泣きました


その1時間後、別の上司が心配して見に来て、

トイレの扉を叩く音で、我に返りました。


ええ。わかってました。

自分に非があって怒られているってことを。


入社1年未満の私と十年以上続いている先輩とでは経験も知識も雲泥の差。

こちらの考えが甘いことも承知済み。


だけどさ、

物事には
言い方ってものがあるじゃんか…


そんなことを、いつも怒鳴られながらずっと心の中で思っていました。


そんな異常な環境の中で私はあらゆる方面からのストレスに耐えながら

必死に喰らい付いて行ったのですが、入社して4年が過ぎ去ったころ、

行きつけの病院の定期診察時、主治医からこんな事を言われます。

主治医

ケチャンさん。

しばらく入院しましょうか。

このままじゃ命を落とすかもしれませんよ

そうです。職場で毎日強烈なストレスを受けていたことで、

気づかない所で体調が悪くなっていただけでなく、

ある時から仕事帰りに毎晩、お酒やお菓子、弁当などを買いあさり、

それを一気に食べつくす生活半年間も続けていたのです。


その結果、体重は入社時から20㎏も増えました。

出勤の為、毎朝駅のホームに上がると膝が痛く息が上がって苦しい。

不整脈も起きている気がする。

おまけに太り過ぎたため、仕事中、しゃがんだ拍子に

スーツのズボンのお尻が割けてしまったこともありました(笑)


この時、過去に目の前が赤黒くなった時の事を思い出したんです。

もうあんな生活を送るのは嫌だ…

でも、自分はあと少しで40歳。

仕事を辞めたら再就職は厳しいだろう。

でも、このままじゃ命に関わる。

一体どうしたらいいんだ…

悩んだ挙句、やはり体を壊してはいけないと思い、

一旦、主治医からの話を職場の上司に相談

しかし、返って来た言葉はこういったものでした。

職場の上司

そんな体では復帰してもまた

同じことになるんじゃないのか?

この際、いい機会だから、

他の道を選ぶことも考えてみてはどうだ?

これってつまり、

会社を辞めろってことだよな…

そこで一旦、返答を持ち帰り、土日にじっくりと

自宅で自問自答しましたが、実はもうこの時、答えは決めていました。


週明けに、上司へ退職することを伝え、その後、数週間の入院をして休養。

なんとか生活をリセットさせることができました。


でも、今思えば、

あの時に退職を勧めてくれた上司には本当に感謝しています。

あの時、きっと意地になって仕事を続けていたら、

遅かれ早かれ体を壊し、もっと大変なことになっていただろうと思うからです。


2週間の入院生活の後、退院。


その後は、一念発起して、ダイエットを敢行

半年間で増えた20㎏の体重を落としました。


39になり、以前登録していた派遣会社の仕事の紹介があって、

コールセンターの仕事を経験。


あらゆる苦情を受け付ける仕事でしたが、

保険会社の仕事と比べればみたいに簡単な仕事だったので

毎日楽しく仕事をしていました(笑)


42の時に懲りずに再び資格取得を目指し、

行政書士資格の勉強を数年にわたって挑戦するも、

あと1点足らずに不合格となったことで気持ちが冷め、

それ以上は挑戦することなくここでも再び諦めの良さを発揮します

6.一冊の本との出会い。そして再び模索

今後の人生を考え、あらゆる情報をネットで調べていたところ、

起業家さんの多くが一度は手にしたことのある一冊の本と出会います。


それが、かの名著

金持ち父さん 貧乏父さん

(ロバート・キヨサキ 著)

でした。

この本と出会い、世の中の多くの人がお金に苦しんでいるのは、

お金のことを学ばずに育ってきたから


そして、

お金を貯める・使わないということばかりに目を向けてしまい、

お金を増やすという思考が無い、ということが原因である、

ということを思い知らされます。


その結果、初心者でも比較的簡単に始められるFX投資に挑戦します。


しかし、独学では不安な事が多かったため

ネットでみつけたメンター(お師匠様)と出会い

リーズナブルなコンサル料を払って勉強。


その結果、実際のお金を投資し挑んだところ、ビギナーズラックだったのか、

いきなり12万円ほどの資金を得ました。

お!?ひょっとして俺って
才能あるのかも!?

と思ったこと自体、FXあるあるだったようで、その後、調子に乗って挑んだところ、

一瞬で20万円ほどの資金を失ってしまいます…


しかしそのメンター(お師匠様)曰く、

FXメンター

それが当たり前の世界。

10万、20万を失ったくらいで

一喜一憂していては、

この世界ではやってけませんよ。

みたいなことを平気で言うわけです(笑)


1か月で100万円~1000万円を手に入れているこのメンターからすれば

そうかもしれないですけどねぇ…


あたしゃ、フツーの人間なもんで(;´Д`A

このままやってたら、お金を失うよりも先に

メンタルを失ってしまうなーと思った私ケチャンは、

早々にFX投資から足を洗いました。

7.メンター(お師匠様)との出会いが人生の転機に!

2017年6月

FXで大きなお金を動かす勇気もなく、

かといって何かすぐに取り掛かれるスキルもない。


しかしFXに限らず、ネットでビジネスをすることに

大きな関心を持っていたため、

ある日何気なくネットサーフィンをしつつ

検索窓にこんなワードを打ち込んでみました。


金なし コネなし スキルなし


すると、たまたま偶然目に入ったサイトの運営者さんが

今まで何回も転職をされ、ある時は体を壊し、

ブラック企業で社畜として働いてきた人が、前日に退職届を叩きつけて退職。


そしてすでにインターネットビジネス

サラリーマン以上の収入を得られている人の記事でした。


年齢も40代で、自分とほぼ同世代。


転職の多さも含め、何か共感できることが多かったことで、

サイト記事を食い入るように読み続けました。


そう。この方が

私のメンター(お師匠様)です(*´∇`)ノ

※画像はイメージです


メンターが行っていたネットビジネスは

Googleアドセンスという広告を自分のサイト記事に貼り、

その記事を読み、広告をクリックしてもらえると、いくらかの収益が入る、というビジネスです。


しかも、メンター(お師匠様)はご自分のサイトで

サイトを立ち上げて収益を得られる状態にできるまで、

全て動画で無料公開をされていました。


こんなすごい方がここまでするとは…と感動しソッコーで無料メルマガを登録


その動画の通りにサイトを自分で立ち上げ、記事を書ける状態にまでなりました(o´▽`o)


しかし、いくらサイトを立ち上げたとはいえ、

記事を書いたことが無いド素人の私は何をどう書いたら良いかが、全くわかりません…

あらゆるサイト記事を参考に見よう見まねで書いてみました。

その結果!


……月収27円。


おぉ♪(ノ)’∀`(ヾ) スゲー!

勝手に収益が上がっている!\(o´▽`o)/

と喜んだのも、つかの間、月収27はあまりにも…少なすぎて

ちょっとだけ落ち込みました(´;ω;`)


その後引き続き、独学で取り組むも、

数か月もの間月収が1,000円に達することはありませんでした。

2017年7月 月収162

2017年8月 月収179

2017年9月 月収586円  

2017年10月 月収814円 

      ……(-ω- )

やっぱりネットビジネスって特別な人だけしか稼げないものなのかな…

そう思った矢先、メンター(お師匠様)がメールで秋ごろに

コンサル企画を始められることを聞き、その企画に強い関心を持ちました。


と同時に、そのメンターは今まで無料で何度も

記事の書き方をレクチャーして下さっていたのですが、

ある日、Skype通話で直接コンサルをして下さることに!(*´∇`)ノ


何もお支払いしていないのに、なぜここまでして下さるのだろう…

このお方はきっと天使。いや、きっとなのではないか?

とさえ思い始めました。

Skype通話では、あるテレビ番組に出演する予定の人物を勧めて頂き、

以下のようなアドバイスをくださいました。

実際のお師匠様

この人物を書いてみたらどうでしょう?

内容としては「〇〇 〇〇」のことについてを

記述すると良いかもしれません

とのアドバイスを頂き、

言われたとおりに、すぐ執筆に取り掛かりました。

その結果、そのテレビ番組が始まるや否やリアルタイムに私の書いた記事に

アクセス(閲覧者)が集まり、次々と広告がクリックされていくのです。


気づけば放送後には

その記事だけで数千円の収益が入っていることに気づきました\(o´▽`o)/

しかも、その月(11月)の月収は

一気に10倍増しの7,000円越えとなりました!(;゚Д゚)

翌月の2017年12月からメンター(お師匠様)の有料企画がスタートたたため、

早速、コンサルを申し込み。その後の収益は以下の通りです。

なんと、メンター(お師匠様)から直接コンサルを受けたことにより、

コンサル開始後、たった3か月後には月収10万円を達成させるまでに成長。

更にその翌月3月には月収17万円を達成!

ここでいったん、このサイトの記事執筆をしばらくお休みし、

ここからの収益を自動で得つつ2018年4月からは特定のジャンルに特化した

別のサイトを立ち上げました。

その結果、2サイトの合計収益額が2018年12月で月収23万円を達成!

そして、2019年1月時点で月収42万円を達成させることができました!

それまで独学では全く稼げていなかったわけですが、

メンター(お師匠様)のコンサルを受けたとたん、いきなり稼げるようになり、

わずか3か月月収10万円をクリア。そして

わずか1年ほどで月収42万円を稼げるようになったことは、

自分でも信じられませんでした。


ただし、自分で稼げるようになるためのポイントがあります。

それは、

★ちゃんとしたメンター(お師匠様)から教えてもらう

★その教えに忠実に従う

★それを愚直に継続する

これに尽きます。


ここには決して成果を出すための特別な裏技などはありません。

そして、巷でよく目にする

一日〇〇分の作業で月収〇〇〇万円!

みたいなおいしい話は

ネットビジネスに取り組み始めた初期の段階ではあり得ません。


このようなコピーそのものは嘘ではないのですが。

これくらい稼げるようになるのは、

しっかりと稼ぐための仕組み作りができていて、初めて叶う話です。


つまり、

無駄のない、確実な方法をいかに多く、長く続けるか?

がすべてだと感じています。

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8.あなたは幸せになるために生まれて来たんです。

これまでご覧頂いたように

★40歳を過ぎたオヤジ

★何度も転職を繰り返した

★特別なスキルも持っていない高卒

★未だにキータイピングが苦手

★人並み以下程度しか見えない目

★毎日、自分の体に注射を打つ生活

といった私ケチャンであっても

インターネットビジネスと出会い、

正しく導いてくれるメンター(お師匠様)の元で素直に教わり、やるべきことを継続すれば、

どんな人でも自らの力で稼げるようになるわけです。


私は、病気があることに対する将来の不安から人に雇われて働くのではなく、

自分のペースで経済的自由時間的自由ストレスフリー

な生活を送るための道を選びました。


平日の昼間からカフェでノートPCを開き、のんびりと記事を書く。
同時に24時間・365日自動で勝手に収益が上がり、自分の口座へお金が振り込まれる。


そんな生活を誰もが送ることのできる時代です(o´▽`o)

今、この記事を読んで下さっているあなたはきっと、

私のプロフィールをみてこう思ったのではないでしょうか?


こんなやつでも稼げるのなら自分が稼げないわけがない。


正解です。そのとおりなんです。


もし今あなたが

会社に縛られて、ストレスを受け続け、

いつ給料を下げられ、またはクビを切られるかもしれない不安に襲われ、

心身ともに消耗しながら、自由に使えない給料の殆どを生活や家族の為に使い果たしているのならば、

もうそろそろ、この辺で自ら人生を変えてみませんか?



そしておそらくあなたが子供の頃に抱いていた将来の自分の姿と今のあなたはきっと

大きくかけ離れているのではないでしょうか?


あなたの下の名前文字を今一度、思い浮かべてみてください。


その名前には不幸になる意味の文字は一切使われていないはずです。

なぜなら、あなたのご両親あなたが一生涯、幸せになってくれるよう

願いを込めて付けてくれたはずですから。


そう。つまりあなたは幸せになるために生まれて来たんです。



そしてご両親あなたを不幸にさせるためにあなたを欲したわけじゃないんです。

だからもし、今あなたが幸せじゃないと感じているならば、

それはちょっとしたことがきっかけでほんの少し、

しあわせのレールからズレて進んでしまっているだけだと思うんですよね。



もしあなたのその満たされない想いが「お金」という、ただの「モノ」によって

引き起こされてしまっているのならば、あまりにももったいないことですよね…


もし今経済的にも時間的にも精神的にも不自由さを感じているのならば、

ネットビジネスに本気で取り組むことによってこれら全てを解消することができます。


是非、私と一緒に幸せな人生を歩み始めてみませんか?


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